日本語オノマトペの大きな特徴

粘度・湿度地獄

このサイトを作成していて頭を悩ませたのが

とにかく「粘度/粘性」「湿度」「水分」に関する微妙な表現が多いということです。

思いつくだけで下記の通り

こってり

ぎっとり

ぐっしゃり

ぐっしょり

ぐっちゃり

ぐっちょり

しっとり

しっぽり

じっとり

ずっぷり

ずっぽり

どっぷり

ねっちり

ねっとり

ねっちゃり

ねっちょり

びっとり

びっしょり

びっちょり

べっしょり

べったり

べっちゃり

べっちょり

べっとり

ぼったり

ぼっとり

ぴっちゃり

ぴっちょり

ぴっとり

ぺったり

ぺっとり

ぽったり

ぽっつり

ぽっとり

まったり

もったり

もっちり

 

液体から固体へのグラデーションにおける粘り気

少量から多量へのグラデーション

その両方の掛け算。

尋常ではないですよね??

高温多湿な国土のせい?

湿度や水分に関する表現がこんなにも多いのは

日本が高温多湿な国であるから、という説明がされます。

異論はありません。

しかし、どうして粘度に関する表現もこんなに多いのでしょうか?

ある本には、日本人は「触るのが好きな国民性で、その昔、海外の万博で日本人は展示品にやたら触りたがったそうだ」との記述がありました。

「触るのが好き」ということが国の天候に左右され、国民性になるほどのこととは思えません。

「触るのが嫌い」な国民性があるとも思えませんし。

食べものの新鮮さを確かめるために「触る」ということは、全人類にとって必要な本能とも思います。

私は研究者ではないので、粘度や触感にまつわる表現が日本語オノマトペに多い理由はわかりませんが

まあ、そういうものだと認識するほかありません。

基本的に不快

上記に列挙した表現を見てもらうとわかる通り

ポジティブな表現が少ないことにも驚きます。

しっとり しっぽり まったり もっちり ぴっとり

くらいでしたら、中立的な気もしますし、ポジティブな気もします。

逆にそれ以外は、基本的に不快さを含む表現だと思います。

これは一体何を意味するのでしょうか?

不快さを共有する国民性?

これだけ多くの不快さを表す表現が発達しているということは

それだけ会話において、言い分ける必要があるということでしょう。

つまり、我々はこの高温多湿の日本において

「いま、自分がどのような水分量に対して不愉快であるのか」という情報交換をすることで

他者からの共感を得ている、ということです。

ずいぶんと、愚痴っぽい国民性です。

というか、農耕民として周囲との協調が大切な社会においては、幸せ自慢よりも不幸自慢の方が

周囲に受け入れられたということかもしれません。

インスタグラムやFacebookなどを通じて他人のリア充っぷりに疲れてしまうのも、同じ理屈でしょう。

すっきり、あっさり、さっぱりの定義

これだけの不快表現がある一方で

快適さ、つまり「気持ちいい」という状態を表す表現もとても少ない。

「気持ちいい」時は「気持ちいい」でだいたい足りますよね。

「すっきり」「あっさり」「さっぱり」

という爽快さを表す表現があり、これらの意味の微妙な差異も存在しますが

あえて私ふぜいが断言すると

「すっきり」も「あっさり」も「さっぱり」も

「粘度・湿度からの解放状態」と定義できると考えます。

我々が気持ちよいと感じる状態とは、とりもなおさず

「自分の心身にまとわりつく物事が何もない状態」なのだと思います。

そこには煩悩からの「解脱」を目指す仏教的考えがあるのかもしれません。

 

我々は、思考を言語でアウトプットしていると思いがちですが

全く逆で、言語でしか思考ができないため、生まれ育った言語によって感情・性格なども左右される

ということですね。